私たちが「なんで?」と聞く理由
「ねえねえ、なんで?」
なんでちゃんだった私は、他人の何倍も「なんで?」「どうして?」をよく使い、とにかく理由を知りたがる子供でした。
『その時、太郎くんはなぜそう思ったのでしょうか?』
という問題は大好きでした。
「思いつくだけ書きなさい」なら尚更好きです。
枠外に溢れて書ききれなくなるまでできるだけたくさん書きます。
でも、あまりにも「なんで?」と聞きすぎて、友達からはよく聞こえないふりをされました。大人からは「いい加減にしなさい!」と怒られました。
そして、成長するにつれて鬱陶しがられる事が増えました。
理由を聞くことがなぜ「屁理屈」や
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2017年5月8日
「言い訳」になるのかやっぱり理解しきれない(>_<)子どもがよく「なんでー?」とか「じゃあこの場合はどうなの?」とか大人を質問攻めにするけど、その感覚をずっと持ち合わせてる感じだなー、私。 #ADHD
【目次】
- 「なぜ」に答えを求めない社会
- 私たちは理由を説明してしまう
- 「責められている」と感じる人たち
- 「なぜ?」とか「なんだっけなー」と言われて本気で調べる私たち
- 「同時処理タイプ」と「継次処理タイプ」
- 私たちの「なぜ?」は「言い訳」や「屁理屈」とは少し違う
- 別のクニにやってきたと思おう
「なぜ」に答えを求めない社会
「なぜ?は必ずしも理由を聞いている訳では無い。」
そう気づいたのは最近のことです。
学校のテストでは「なぜ〇〇なのでしょうか。」と聞かれれば「〇〇だから」と答えます。
「から」と付けないと△を付けられ減点されます。
英語のテストでも"Why he think like this?"と聞かれれば、理由を聞かれているのだと分かっていますよ、と出題者に伝えるために"Because~と書きます(ネイティブはBecause~をあまり使わないという話もある)。
それなのに、部長から「おい!この書類、また数字が間違っているぞ!なんで何度言われてもできないんだ!」と言われた時「チェックしている時にB先輩から作業を手伝うように言われまして……。その作業が終わって席に戻ってから再確認したつもりだったのですが、2ページ目から確認すべきところを勘違いで3ページ目から確認してしまいまして、2ページ目のチェックを忘れました。だから2ページ目の数字の間違いに気が付かなかったのです。申し訳ありません。」などと言おうものなら、部長はもうカンカンです。
「言い訳をするな!」
と怒鳴られ、周りからも自分の責任を棚に上げて人に責任を擦り付ける奴として評価を落としてしまいます。
この場合、部長の「なんで何度言われてもできないんだ!」は「いい加減にしてくれ何度も同じことを言わせるんじゃない!!さっさと直せ!」という意味です。
決して「何度言っても君が数字の間違いをするのはなぜなんだい?なにか理由があるのかい?よかったら僕に教えてくれないか?」ではないということ。
社会では「なぜ~なんだ?」に答えを求められていないことがたくさんあります。
多くの場合「Don't do that! Never!(二度とやるな!分かったな!)」だったり「That's enough!(もうたくさんだ!)」という意味です。
私はこれを人から教えてもらい、こうやって文章にしてみてやっと意味が分かります。
多くの場合、「なぜ〜」には、例え語尾が上がっていても「?」がつかないんですね。付くのは「!」です。
正解は……
では「なぜ〜なんだ!」「どうして〜できないの!」と言われた時の正しい答え、正解はなんでしょうか?
それは「申し訳ありません」(もしくは「お怒りもごもっともです」「ご不便をおかけしています」など)です。
ラストは「このようなことが二度とないように以後十分気をつけます。この度は誠に申し訳ございませんでした。」と結んで頭を下げられればベストです。
つまり、この場合「なぜ〜なんだ!」に込められているメッセージは「俺は怒っている。こんなことじゃ困るよ、君!もういい加減にしてくれないか!などと同じミスはするな!分かったな!」なのです。(そう言ってくれるほうがよっぽどいいや……)
求められているのは、その怒りを受け止め、そんな気持ちにさせてしまったことに対して謝罪すること、反省し次に同じミスをしないこと、です。
ポスターの標語
「なぜ人は同じ過ちを繰り返すのでしょうか?」
戦時中の悲惨な写真とともに、こんな標語が大きな文字で書かれています。
そして、隅には小さな文字で、このポスターを作った団体の名前が入っています。
このポスターは私たちに答えを求めている訳ではありません。
ポスターを作った団体も、見た人からの解答を求めている訳ではありません。
見た人に「ああ、やっぱり戦争はしてはいけない」と思ってもらいたいのです。
私たちは理由を説明してしまう
私たち、というのは発達障害を持っている人全員という訳ではありません。
ここでは私の他にもいる、「なぜと聞かれた時理由を説明してしまう」人たちのことをまとめて「私たち」とさせて下さい。
私たちは理由を知りたがります。
きちんと根っこを知った上で理解したいです。
私たちは自分たちがミスが多いことをよく知っています。
理屈がわかっていないとまた同じミスをしてしまう可能性が高いし、応用が聞きません。
不安を抱えたまま作業すると、そればかり気になって肝心なことが疎かになります。
同じ失敗をしたくないし、不安を解消したいから理由を知りたいのです。
「責められている」と感じる人たち
一方で、多くの人は「なぜ?」と聞かれると責められている、と感じるようです。
社会では多くの場合「なぜ~?」は、何度も言うように「いい加減にしてくれ何度も同じことを言わせるんじゃない!!さっさと直せ!」という意味だからです。
でも私たちにとってはそうではないので、私たちはまさかそんなふうに取られると思うことなく質問を繰り返します。
そして、なんだ空気が悪くなったようだとと気づいてもそれがなぜだかよく分かりません。またはあとから「ああ、またやってしまった……」と悲しくなります。
また、「間違っていますよ。もう一度よく確認してみてください」という意味であることもあります。
例えば、A子先輩からこんな風に言われた事があります。
先輩「これ、どうやったらこんな計算になるの?!」
私「え?ちゃんと計算したんですけど……上から下まで指を指しながら一つ一つ確認して……」
先輩「……もう一回計算し直してから持ってきて!」
どうやら先輩を怒らせてしまったようでした。
この場合は「申し訳ありません!すぐに確認して訂正します」が正しかったようです。
A子先輩「どうやったらこんな計算になるの?!」はイコール、「あなたの計算が間違っているのでもう一度確認して訂正しなさい(次からはちゃんと確認してから提出しなさい)」という意味です。(ああ分かりづらい……)
またある時、A子先輩は明らかに怒っていました。
「ねぇ、さっき〇〇の時◇◇ってしてたけど、あれって失礼だよ!それ位人の気持ちになって考えたらわかるでしょ!なんで◇◇ってしたの!?」
私は言いました。
「……はい……すみません……。〇〇の時、△△でしたので×した方がいいかなと思ったのですが、先方は~していらっしゃいましたので、◇◇の方がいいかなーと思ってしました。……先輩にもご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
先輩は大きなため息をついて一気に言いました。
「B子とも話してたんだけどさ、Chikarin!さんは一人で仕事をしていくタイプだと思うわ。まず、言い訳が多すぎる。普通は先輩が言ったことは「はい」「はい」と言って聞くものだよ。もういい大人なのにこんな当たり前の常識とかマナーで怒られて、恥ずかしいと思わないの?おとうさんやお母さん、周りの先輩達に申し訳ないとか思わない?もう私は二度とあなたに注意しない。これだけ言っても治らないなら言っても無駄だから。直そうとする気がない人にいくら言っても無駄。何度言っても次の日にはまた同じことをしてバカにしてると思われたって仕方ないよ?治す気がないならそういいなよ!怒る方だって疲れるの!何度も何度も同じことを言わせないで!いい加減にしてよ!親の顔が見てみたいわ!」
悲しいやら情けないやら、何故こんなに責められるのかよく分からないし、そんなことも分からない出来ない私は死んだ方がマシなんじゃないかとすら思いました。
これらのエピソードから分かるように、「なぜ?」「どうして?」は遠まわしに言って相手に気づきを促したい時や、相手を責める時によく使われます。
むしろ、純粋に理由を聞きたい時よりこちらの方が多い気さえします。
いつからこうなのかよく分かりませんが、こんな世の中だからこそか、「なぜ?」と聞かれると重箱の隅をつつかれているような、責められているような感じがして嫌だと思われる事が多いそうなのです。
「なぜ?」とか「なんだっけなー」と言われて本気で調べる私たち
先日雑談をしている時にこんな話になりました。
B先輩「そういえば東京のなんとかっていう蕎麦屋がすごくおいしいらしいんだよ!この間◯◯っていうテレビに出ててさー!」
私はテレビをほとんど見ないので、◯◯というテレビ番組を見たことすらがありません。
私「え!そうなんですか!どこだろう気になるなー」
B先輩「荻窪だったかな?錦糸町だったかな?芸能人の◇◇も好きらしくてよく行くんだって」
先輩はどうしてもその蕎麦屋の名前も住所も出てこない様子です。
私は◇◇という芸能人も知りません。
そんな時私は、誰がどこのなんという蕎麦屋を紹介していたのか、自分も気になるし先輩にも教えてあげたくて、スマホで必死で調べます。
でも、なかなか出てこない……。
先輩はその間も「あー。蕎麦の上にアジの竜田揚げが乗っててさ、その上にネギがパラパラっと…うまそうだったなー」などと話しています。「わー!いいですねー!どこのお店ですかねー?」と言いながらスマホで調べまくる……それでも出ない……。
5分くらいだった頃、こう言われました。
先輩「ねぇ……もういいよ……」
この場合は、適度なところで「いやー、分かんないですねー。残念だなー。そういえば、この間の話ですけど……」と話題を変えるのが正解だったんでしょう。
その後も、別の話題で「あれなんて言ったっけ?あー思い出せないや」などと先輩が言うたび、本気で調べようとして、次第に先輩の口数は少なくなっていきました。
「あれってなんで◯◯なんだろうね?」とか「なんだっけなー」と言われて、私たちは答えを出そうとします。
例え語尾に「?」をつけて言われても、多くの場合答えを求められているのではないようです。
「さぁ…なんでですかねー?」「私も思い出せません気になりますねー」でいい場合がほとんどだそうです。(そんなこと言われても「分からない」という宙ぶらりんな状態はこちらが落ち着かない……)
反対に運良く検索に引っかかった場合は、私たちは「ウィキペディアによると◯◯だそうです。ちなみに△△は◇◇で〜」などと話し始めて相手を疲れさせます。
「同時処理タイプ」と「継次処理タイプ」
同時処理タイプは、物事の全体像を大まかに捉えて細部へと理解を進めていくタイプ。
継次処理タイプは、詳細を一つ一つ確認しながら進めて全体像を理解するタイプ。
一般的には同時処理タイプは視覚優位の人に多いとされ、継次処理タイプは聴覚優位の人に多いとされていますが、この限りではありません。
私は基本的に同時処理タイプです。
全体を見て、その瞬間色んな疑問点がバーーーッ!!!と浮かぶので「なぜ?」と聞いてしまいます。
その大量の「なぜ?」を一つ一つ潰して、疑問を限りなく0にしたいのです。
疑問が残っていると不安です。
不安があるとなかなか前に進めません。
WAISの結果で処理速度が早いことが分かっていて、その早さゆえに情報と情報が次から次へ繋がって次から次へ疑問が湧きます。
ワーキングメモリーが低いので学んだことをすぐに忘れて、また質問します。
好奇心と探究心が強いので、知りたいこと試したいことが尽きません。
体は大人、頭脳は子どもです。
私たちの「なぜ?」は「言い訳」や「屁理屈」とは少し違う
上にも出てきたA子先輩から「言い訳するな!」と言われて「そんなつもりは無いんですけど……」と答えて火に油を注いだことがあります。
A子先輩「また言い訳するの!?いい加減にしなさいよ!「言い訳」と捉えるかは受け取り手の問題!相手に「言い訳だ」と取られたらそれが全てなの!「そんなつもりはない」というのはあなたの言い分でしょ!?だから人が離れていくのよ!分かんないの!?」
この時初めて「相手がどう受け取るかは相手次第だ」ということを学びました。
こちらにそんなつもりがなくても相手がそのように受け取ったらそれが全て。
世の中はなんて怖いんだと思いました。
それからの私は「言い訳」が増えました。
なぜ自分がそう思ったのか、、どうしてそうしたのか、誤解やすれ違いが怖くて、それをを防ぐためにいちいち説明を+αするようになったのです。
でもそれは逆効果でした。
ますます他人から鬱陶しがられ、先輩からも距離を置かれ私の自己肯定感は地に落ちました。
思えば私がカウンセリングを利用するようになったのはこの時の経験が元でした。
私たちの場合、理由を説明するのは「誤解」や「すれ違い」を防ぐためです。
多くの場合「報告」です。
不注意や思い違いも多いので、もし内容に間違いがあれば指摘してほしいとも思っています。
改めて確認するのも忍びない時や、聞にくいことがある時には、質問の形を取らずに説明の形をとることがあります。
「そんなこと聞いてないよ!」「え?あれってそういう意味だったの?」を防ぐためです。
私の場合、理由や考えを伝えた上で、間違いを指摘されなければきっとそのまま勧めて大丈夫判断することが多いです。
あくまでうまくやっていきたいという気持ちからでる行動です。
でも私たちのこの行動は、自分本位で他人のことを考えない行動だと捕えられがちです。
説明は求められていないのです。
つべこべ言わずにやればいいのです。
それ分かっているけれど、理由を説明してしまうし理由を知りたくて仕方ありません。
なぜなら、
私は何度言われても同じミスをします。
何度も何度も確認をしたはずなのに、不備があります。
私たちは大切な予定を忘れます。
出かける前に何度手帳で確認をしたのに、3時に人と会う予定をすっかり忘れて、お約束の時間は3時のはずでしたが今どちらにいらっしゃいますか?」という連絡をもらって始めて予定をすっぽかしたことに気がつきます。
「急いで向かいます!」と平謝りしますが、「……また日を改めましょう」と言われることも多いです。
私たちは他人から借りたものを無くします。
「私が何度も繰り返よ読んでる本なのすごくオススメだからせ是非一度読んでみて!」と言って貸してもらった本をなくしました。
サイン入りの本で替えがきかないものです。謝る言葉もありません。
迷惑をかけているのが分かっているし、そんな自分がとても嫌いです。
こんな自分を私は未だに信頼できません。
むしろこんな経験を繰り返す度、もっと信頼できなくなっていきます。
だから、理由を説明したいし理由を知りたがる
のかもしれません。
少しでも私の考えていることが伝わればいいなと思うし、少しでも相手の考えていることが理解できればいいなと思うからです。
これは私のワガママなのかもしれないけど。
私たちの「なぜ?」は単なる「言い訳」や「屁理屈」とは少し違います。
自分のことを知って欲しいし、分かってほしいし、あなたの事も知りたい、分かりたいのです。
別のクニにやってきたと思おう
社会では「なぜ?」と聞くことはナンセンスなことらしいと私達は知っています。
「郷に入っては郷に従え」
社会で「うまくやっていきたい」時、私たちは理由を知りたい説明したい欲をぐっと堪えて、「申し訳ありません。以後気をつけます」と言わなければなりません。
考えるな!パブロフの犬を思い出して、「何でなんだ!」と部長から言われたら、まず「申し訳ありません!」。
悩まずに生きるには、自分がどう思うかやどうしたいかではなく「社会」というクニではこうするというルールなのだと学んでそれに適応するしかないんだなーと思いました。
もしくはそういうルールだと知っておきながら意図的に無視するか。
他人を変えるのは基本的には無理。
社会を変えるのはもっと無理。
「はぁ…ここではこういうルールなのね。その文化にはなんだか馴染めないけれど、うまくやっていくためには仕方ないなぁ…」と諦める。
「諦める」って悪いことばかりじゃないです。諦めることは手放すこと。手放した分だけ別の余裕が生まれます。
「ほかの何かを手に入れるためにあえて手放す」ことを選ぶのです( ^^ )
悩んでも解決しないものは悩まずに手放す。
悩んでいる時間がもったいないですよ!( ^^ )
いつかまたきっとタイミングが巡ってくると信じて。
時間は有限。
切り替えて、さぁ!次に行きましょ( ^^ )!!