Twitterというメディアに魅せられて
私はTwitterが好き。
「つぶやく」というスタイルが好き。
文章というほどでもなく、その時思ったことをただ文字にしてポロっとこぼす。
だれが見てくれるかはわからない。
だれも見てくれないかもしれない。
それでもいい。
反応が返ってくると嬉しいけど、リプやRTありきでつぶやくわけじゃない。
基本は独り言。
独り言なのに、この地球のどこか遠くにいるまだ一度も会ったことのない誰かに届くかもしれない。
なんとも不思議なメディア。
それがTwitterだと思っています。
- Twitterはゆる〜くやるに限る
- Twitterではおもいっきりネガティブでも、おもいっきりポジティブでもいい
- 気楽にいこうよ
- こんな私でももしかしたらもしかしたら誰かの役に立てることもあるかもしれない
- Twitterに支えられて
Twitterはゆる〜くやるに限る
私が最近メインで運用している、Chikarin!のアカウントは発達障害専用にしています。
(はてブロとも連動させているので、よかったら合わせてご覧下さいm(_ _)m)
カウンセリング行ってきます!認知行動療法のシート書かねば。 #ADHD #提出物はいつもギリギリ pic.twitter.com/gerC8i30sC
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月18日
今私が一番気になっているのは発達障害のことで、これを乗り越えないと未来はないとすら思っています。
だから発達障害に関する情報収集はすごく大事。
今何より優先していることかも。
自分で気になるところをつぶやきつつ、他の人のつぶやきから情報や気づきをもらう。
フォローする人が増えれば増えるほど、タイムラインはどんどん流れていって全部は負えないけど、それでもいいやって思える気楽さが好き。
全部のツイートは見られないし、リプとかたまにしかできないかもしれないけどさ、いいよね?だって独り言なんだもん。
独り言だけど反応してくれるの大歓迎だよ!だって誰かに見られるのは承知の上でつぶやいてるんだもん。だから私も気になるツイートには自由にリプとかリツイートとかさせてくださいね。
っていう気持ちでつぶやいてます。
今日は21:00には寝ようと企んでいる。
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月13日
明日は5:00に起きよう。
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月13日
っていう、誰の得にもならないし、むしろリアルな会話でやっちゃうと「はぁ。どうぞご勝手に?」とうっとうしがられちゃいそうなことも何も気にせずぼそっと言える、それがTwitterだと思ってる。
少なくとも私はそういう使い方はしない。
Twitterではおもいっきりネガティブでも、おもいっきりポジティブでもいい
「この世界マジつまんない」
「もう消えたい」
「どうせみんな私なんていなくなればいいと思っている」
というどん底的な呟きから、
「私は今世界一幸せだわ!」
「憧れのBくんが今日私のことを見てた気がする!もしかして私のことが好きなのかも♡」
というオノロケの呟きまで、
なんでもござれ!がTwitter。
みんなが見てるからとか仲良しのフォロワーさんに気持ち悪いと思われるかもとか、基本気にしなくてもいい。
ただ、倫理に反するようなツイート(例:犯行予告、名誉毀損、デマなど)はダメね。
それ以外だったら基本的に何も気にする必要はないと思う。
おもいっきりやっちゃいましょう!
だって基本独り言なんだから。
どうしても嫌なら、リムーブして貰うか読み飛ばしてもらえばいい。
ただしやるなら身バレしないように作ったアカウントがいいですね。
ヤラカシターーー!!と思ってもそれはTwitterの中だけの話で実生活には影響しない、これ大事(´・ω・`)
税務署行ってきた。あーもームリムリムリムリムリー!!!!
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月13日
とか私生活丸出しなことつぶやいても特定されないように工夫することも大切ね。
◯◯税務署にいってくる、とか電車の◯◯線に乗って15分揺られてくる、とか書くと生活圏が割り出されちゃって、後々めんどくさいことになりかねない、とも思うので私はあまり呟かないようにしています。
気楽にいこうよ
たくさんの困りごとがあって、定型さんより「あれ?」っていう発言や行動がきっと随分多い。私も含めて、ね。
でも、繋がってる人たちはそれを笑ってくれたり、これから変えていけばいいじゃない、って許してくれる人たちだと思っているから、素直に気持をつぶやける。
こんなこと実生活でポロッとこぼしでもしようものなら「甘えだ!」「いい歳して!」「みんなしんどいのは同じだ」と言われちゃうし口が裂けても言えないわ!
というようなことだって、Twitterなら言える。
本当は言うべきじゃないのかも、っていうことだって、言葉と一緒にもやもやを吐き出してしまった方がきっとスッキリします。
叱られて治るようなものならとっくに治ってるんだよー!べらぼうめい!こちとら何年症状と付き合ってきてると思ってんだ!(Chikarin!こころの声)
開き直るのはあんまりよくありませんね。
でもスッキリした(・∀・)
特定の誰かに向けて牙を向けるわけではなく、あくまでこころの声がぽろっと漏れただけ(という程)。
気楽にいきましょうよ。
なんかさ、そういう場にしようよ。
Twitterくらいさ。
こんな私でももしかしたらもしかしたら誰かの役に立てることもあるかもしれない
時々(よく?)Twitterで見つけたつぶやきに、偉そうにリプをすることがあります。
@mr07mol 私も今日それでバタバタしました、、、迷った時はコレ!というコーデを2つくらい持っておくと楽っていうのを思い出しました(^^)私も帰ったらやっておこう!
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月18日
@yms970911 @FoqQz うーん。性格を磨く、ってなんだろうって考えさせられました。私は性格は滲み出るものだと思うかな。「こういう性格になりたい」って意図的に作っていくものじゃなくて、日常の積み重ねでできていくものかもしれないですね。
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月19日
@MSminority 私なりに思うのが、障害を受け入れる=自分を認めてあげる、ってことじゃないでしょうか。いいところも悪いところも「しょうがないね。これが今の私なんだから」って。現状に満足するという意味ではなくです。だって障害も自分の一部なんですから(^^)
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月19日
リアルではダメダメな私も、Twitterでは誰かを励ましたり、誰かの役に立てることがあるかもしれない。
とか思ったり。
何かを「教えて」差し上げるなんてことはできないけど、「わかるわかる〜!」とか「私も同じことで困ってるよ」っていうことが伝えられたらなって。
それにたった一つの呟きでも、もしかしたら何万人の人から共感して貰えるかもしれない。
Twitterってすごいですよね!
リアルだと「誰が」言ったのかは、それをいいと思うかそうでないと思うかを考えるる時の重要な判断要素になってきます。
尊敬する人や権力のある人、信頼の置ける人、有名な人の言葉には説得力があります。
少なくとも軽蔑する人やこいつ苦手だなと思う人の言葉はなかなか素直に入ってきませんよね。
Twitterだと、見ず知らずの人の言葉でも心を打たれることがあります。
自分に向けられた言葉じゃないから意見を押し付けられているわけでもないし、返事を求められているわけでもない、その辺りは気楽な場だからこっちも気構えずにいいねやリツイートもしやすいですね。
ありがたいことにこんな私の何気ないつぶやきにもいいねやRTをいただけることがあります。
「そう言ってもらえて心が少し軽くなりましたー」とか言われると、砂漠の心に花が一輪咲いたような気持ちになれます。
本当に嬉しい。みなさんありがとう!
日常生活だと、迷惑をかけて仕事を増やし、ほんといきててすいませんこんな私が楽しいとかおいしいとかめっそうもないですみたいな感じだけど、Twitterだと楽しいとかつらいとか、悲しいとか腹がたつとか、いってもいいかしらと思えます。
「あ、私ここにいてもいいんだな」と思える場所でしか人って笑えないし怒れないんだなって気がつきました。
気楽にやりたいなら本名でやらないこと。
自分が好きになれないひとこそそうすべきだと思う。
Twitterに支えられて
どんどん鬱っぽくなっていきました。
突然涙が溢れてきて、失敗体験を思い出しては動悸がして呼吸が浅く早くなり、
あ、私このままだと壊れるかも。
と思いました。
誰も共感してくれない感覚、誰も私の気持ちを分かってくれない、発達障害に悩んでると誰にも言えないつらさ。
みんなが普通にできることがなぜかできない自分。
迷惑をかけて周りから疎まれている自分。
今までなんどもよろけて、転んで、沈んでしまいそうになったけど、その度にTwitterに救われました。
Twitterなんてやってる暇があればちゃんとやれよ!
という言葉が聞こえてきそうですが、Twitterがなかったらすでに潰れていたかもしれません、私。
今はもう少しだけ、Twitterに頼らせてください。
いつか必ず、自分の足で立ちます。
いつか、「生まれてきてよかった!」って心から言えるようになるんだ。
でも、
いつか自分の気持ちや感情をしっかりリアルで表現できる日がきても、それでもやっぱり私は
Twitterが好きだと思う。