ADHDを理解してもらえないときによくある「そんなの誰にでもある」について
ADHDの人の中には、「忘れ物が多いんです」「期限が守れなくて……」「部屋がぐちゃぐちゃで片づけられないんです」「いつも余計な一言を言ってしまいます」こういう話をすると、「そんなの誰にでもある」「言い訳するな」と言われてしまい、どうせ誰にもわかってもらえないんだという気持ちになったことがある人も多いと思います。
これ実はすごく辛いんですよね。
主治医の先生に長年の疑問をぶつけてみました。
ADHDの人のそれとそうでない人のそれは何が違うのか
例えば忘れ物を例にとってみます。
うっかりお財布を忘れてしまうことは誰にでもあり得ます。
朝バタバタしていたとか、鞄を持たずにパーキングエリアのお手洗いに行ってお財布を棚に置いたらそのまま置き忘れてしまったとか。
お財布以外も鍵や携帯電話、ハンカチなども含めればちょっと忘れ物をすることは誰にでもあることですね。
私の主治医は程度の差だと言いました。
ADHDを理解してもらえない時によくある「そんなの誰にでもあるでしょ?」について。主治医「程度の差です。うっかりお財布を忘れることは誰にでも有り得ますね。それが一年に一度忘れる事があるかどうかと、一ヶ月に一度忘れるでは後の方が大分困りますね」→つづく #ADHD啓発 #ADHD
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年10月26日
「一年に一度お財布を忘れてしまう」のと「一か月に一度はお財布を忘れてしまう」だと、一か月に一度忘れてしまうほうが困り度が高いです。
これが自転車の鍵や判子のように小さいものや、出したりしまったりの頻度が一日のうちで低いものだとより行方不明になりやすいです。
私は判子や通帳のように大切なものでも忘れてしまったりなくしてしまうのです。
人からの預かりものをなくしてしまうこともあるので「大切だと思っていないからなくしてしまうんだろう」などと言われて、取り換えしのつかない事態にひどく落ち込みます。
主治医の先生に「え?お財布って普通は忘れないものなんですか( ゚д゚ )?」って聞いたら「はい」って。なんなの。みんなすごい。
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年10月26日
お財布って普通の人は忘れないものなんですね……
私はお財布を忘れて後輩にお金を借りたことが何度もあります……恥ずかしいと思っています。
それともう一つ、本人や周りがそれによって非常に困っていること。
忘れ物が多かったり、時間や期限が守れなかったりして周りからの評価が下がったり、信用を失ったり、約束を守れないことでトラブルに発展したりすると、ひどい場合仕事をクビになったりします。
どうして自分はできないんだと自己嫌悪に陥り、鬱になってしまうこともあります。
本当は忘れ物なんてしたくないし、片付いたきれいな部屋に住みたいし、浪費癖を直して将来をきちんと見据えた金銭感覚を持ちたいし、空気をぶち壊さずに友達との会話を楽しみたい。なのになぜかできない。
@chikarino1 「見通しがつけられず時間が守れないのも怠けたいという理由ならもっとうまくやるでしょう。本人は忘れないようにしたり遅刻しないようにしたいのに、毎日のように繰り返してしまう。どうしてもできなくて困っている。これは誰にでもあることではないです」 #ADHD
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年10月26日
この状況をどうにかしたいと本人が思っていること。
今日先生が最後に言った事でなんか色々考えた。「例えば、大企業の社長で忘れ物が多かったり、スケジュール管理が非常に苦手な人がいたとしても、秘書が非常に優秀で社長自身の忘れっぽさ等が仕事に全く影響していないし日常生活で困っていなければ、ADHDの診断はつかない」なるほどです。
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年10月24日
そしてたとえ本人が困っていなくても、周りが当事者のその特性によって困っている場合があります。
例えば私は「やります!任せてください」と言っておいて忘れてしまっていたり、社用車の車の鍵をなくしてしまったりして周りを困らせることが度々あります。
かなりイライラさせていると思います。
こういう場合、周りの人に勧められて受診に至るケースもあるそうです。
自分ではどうにかして改善したいと思っているのになぜだかどうしても治らない、当事者の行動によって周りが非常に困っている、でもどうすればいいのか分からない、これは「誰にでもある」と言って流せることではない。
@chikarino1 主治医の先生の言葉がとってもわかり易かった。ADHDのチェックリストにオール0をつけた私の母にはこういう説明が必要なんだろうなぁ…... pic.twitter.com/sn7lqjkY90
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年10月26日
「自分がADHD(注意欠陥多動性障害)かもしれないと悩んでいる」
こういう話を人に初めてしたのは私が大学生の時でした。
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なんとなくテレビやインターネットからの情報でADHDのことを知ったところに、この本と出会って、私のことだ……と思い、それからずっと発達障害のことが気になってきました。
勇気を振り絞って母に話を振ってみたとき、母の反応はこうでした。
「そんなの誰にでもあるじゃない。そんなことをいうくらいなら部屋を片づけなさい」
ああ、私の困りごとは誰にもわかってもらえないんだなと思ったと同時に、普通の人にはできることができない私はダメ人間なんだ、と思いました。
頑張ればできる、できないのは私が怠けているからだ努力が足りないからだ、やりたい・できるようになりたいといいながらできない(怠けてばかりいる)私はどうしようもない奴だ……
こんな考えに支配され、ずっと苦しかった。
心が耐えられなくなり、今回もう一度母に話をしました。
@chikarino1 今返事が返ってきて、全部「0」、ないもしくはほとんどない、だそうです。なので、全部0にチェックを入れて明日は持っていきます。印象ってやっぱり人から見ると違うんだな。例えば「忘れっぽい」も「忘れることなんて誰にでもあるじゃない」って。「誰にでもある」かぁ……
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年9月29日
@chikarino1 私高校生になっても、一ヶ月に何度も忘れ物を学校に届けてもらい、部屋は大人になってからも足の踏み場がないような人間だったけど、これでも「誰にでもある」かぁ…。親は自分の子どもしか育てていないから「普通の子ども」を知らないし比べられないもんなぁ……
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年9月29日
やっぱり返事は「誰にでもあるじゃない」でした。
ただ今度は怒った口調ではなく、娘に「発達障害」があるかもしれないことにショックを受けているようでした。
母も年をとったなと思いました。
親に限らず、周りの人にADHDの話をしたとき「そんなの誰にでもある」「言い訳するな」と言われることってありますよね。
慰めるつもりで言ってくれている場合もあるみたいなのですが、これを言われると実はすごく辛い。
ADHDと分かって自分にできること
身近な人でも、「そんなの誰にでもあるから心配することはない」といいます。
もしかしたら身近な人だからこそ、発達障害の当事者だなんて信じられなくてそう言うのかもしれません。
ADHDを周りに理解してもらうことは簡単ではありません。
そして、みんなに理解してもらうことは多分不可能です。
良くも悪くもADHDの診断がおりても何も変わらない。「自分にそういう傾向があると言う事を知ることが出来る」ことと「自分は頑張れば苦手を得意に変えられるものではないから、不得意なところをなんとか改善しようとするのではなく、得意なところで不得意をカバーする方が良い」と分かること。
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年10月24日
自分の得意不得意を知って、自分と向き合うことから初めて、自分に合った方法で
目の前のことと向き合うこと。
これがADHDと分かった今自分にできる唯一のことだと気づきました。
いつか「忘れ物しちゃって」が笑って済ませられるくらいのものになる日を目指して。