小学生の時は脱走ばかりしていました
子供時代のエピソードとか考えてたら発達障害のフラグばっかりヾ(´・∀・)ノ
— Chikarin!(ADHD) (@chikarino1) 2016年5月14日
子ども時代、といっても保育園時代はあまり覚えていないので、小学校低学年の頃から思い出してみます。
初めて来られた方はこちらをご一読下さい。
成績は悪くなかったと思います。
先生に反抗して算数のテストを1問しか答えずに提出したことはあったけど。
ちなみにその答えはあっていました(笑)
おとなしく机について授業を受けられない子どもでした。
教室内を歩き回ったり、授業中教室から脱走するのは日常茶飯事。
授業中なのに図書室に行って昼休みに借りた本を読みふける。
休み時間のうちに学校を抜け出して1.5km離れた実家に帰ってしまう。
本当、自分が覚えているだけでも色んなエピソードがあります。
先生にも友達にも親にも、たくさんたくさん迷惑をかけた子供でした。
ある日校内探検に出かけた
多動の症状が強く表れていた小学生の頃、おとなしく授業を受けることはできませんでした。
積極的に発言する子どもで、先生から「これが分かる人いるかな?」と質問が飛べば、自信がなくても「ハイハイハイハイハイ!!!」思いっきり手をあげました。
毎回手をあげるので、だんだん当てられなくなると今度はたいくつして、教室を立ち歩く、別の授業の教科書を読み始める、学級文庫で読書に耽る。
おとなしく本でも読んでいるうちは「Chikarinさん!」と注意を受けるくらいで済むのですが、椅子をガタガタ鳴らしたり、立ち歩きが出てくると先生も他の子のために黙ってはいられません。
「Chikarin!さん!いい加減にしなさい!!」
授業を止めて同じ階の教室全部に聞こえるような大声で叱られることになります。
「ああ、またChikarinか……」と隣の校舎で授業を受けていた妹にも聞こえていたくらいです。
叱られても自分でも抑えることが出来ないので、そのうち教室内では足らず、ついに校内探検に飛び出しました。
小学二年生の時でした。
初めは後ろのドアから出て前のドアから入る、という程度でしたが、あるときついに先生の制止の声も振り切って教室を飛び出しました。
図書館にあった、当時ハマっていた本がの続きが室うしても読みたくなったのです。
休憩時間になったら一目散に図書室へ行こう、休憩時間に図書室へ、図書室へ……、本を読みに行こう♪
初めのうちは先生が追いかけてきてすぐに教室に連れ戻されるのですが、私が何度言ってもやめないためそのうち追ってこなくなりました。
センセイは代わりにクラスメイトを召喚した
小学校では担任がほとんどの授業を受け持つため、私一人のために授業を何度も中断したり、他の授業にまで響かせるわけにはいきませんでした。
そこで先生はクラスメイトに「Chikarin!さんを連れて帰ってきなさい」と命じたのです。
毎日脱走するようになっていた私を、クラスメイトが代わる代わる迎えに来てくれました。
いっしょに帰るときもあったり、そうでないときもあったり。
そのうち連れ戻されまいと隠れるようになったので、クラスメイトの手に負えないときは、手が空いている先生たちが探しに来るようになりました。
そして、それ以降毎日のように学校を使った壮絶な鬼ごっこ&かくれんぼが繰り広げられたのです。
校内大鬼ごっこ&かくれんぼ
時には5人がかりで追いかけてくる鬼(先生)をうまくかわしながら、図書館で本を読むミッションや校庭のブランコで遊ぶミッションを遂行しました。
休憩時間は特に注意が必要です。
先生+鬼を命じられたクラスメイトや他学年の児童まで私を追いかけてきます。
田舎の小さな学校だったので、基本行き先はだいたい決まっていました。
校内探検、大鬼ごっこ&かくれんぼの行き場所ベスト3
- 第三位 ウサギとチャボの飼育小屋
鍵のある場所はみんな知っていましたので、勝手に開けて入って遊んでいました。
- 第二位 図書室
本が好きだったし、司書の先生が優しかったのでいろんな本を勧めてくれました。
小学校3年生の時には灰谷健次郎の兎の眼やを読んでいたし、在学中にJ.D. サリンジャーのライ麦畑でつかまえて、赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズや、江戸川乱歩の怪人二十面シリーズをよく読んでいました。
図書館には背の高い本棚があって隠れるスペースがたくさんあるのも魅力でした。
- 第一位 保健室
頭がいたい、お腹がいたい、熱がある、気分がすぐれない。
何か理由をつけて居座りました。
担任からもクラスメイトからも仮病と言われ、たまに高熱で休むと「今回は本当らしいから」
と先生が前置きの説明をつけて回る程でした。
- 番外編
・校庭……遊具で遊んでいました。ブランコやカイセントウが好きでした。
・農機具倉庫……用務員の先生が学校周りの落ち葉を掃除したり、農機具の手入れをしたりするのを手伝って(じゃまして)いました。
・階段下の収納庫
パイプ椅子やバケツ、雑多な物が入っているスペースでした。
ここが一番誰からも見つからなかった。
先生たちから逃げるときはここ。
・屋上
当初立ち入り禁止のロープが張ってありましたが、私が何度もロープをまたいで侵入するので、後に鍵がかけられました。
・近くの公園、家
「校内探検」といいながら。
時々校外脱走もはかっていました。
頻度は少しずつ減りましたが、結局小学六年生までこの戦いは続きました。
なぜ脱走したのか?
じっと机に座って授業が受けられなかった私。
椅子をガタガタ揺らしたり、突然持っている全ての鉛筆をハサミで納得がいくまで削って尖らせ始めたり、買ったばかりの消しゴムを全部使って練り消しを作ろうと没頭したり。
近くの席の子に急に「今日の夕方遊びに行ってもいい?」と話しかけたり。
さっきの授業で出された算数の宿題に急に取り掛かり始めたり。
隣のクラスの授業の声が聞こえてきたり、外から竿竹屋のアナウンスが聞こえてきたりするともう本格的にダメでした。
注意がそれやすく、周りの迷惑を考えない行動を次々と起こすので、先生からいつも注意ばかり受けていました。
「うるさい!」「いい加減にしなさい!」「だらしがない!」「ちゃんとしなさい!」「どうして反抗ばかりするの!」
言われれば言われるほど、混乱して嫌になりました。
なぜ自分がこんなに衝動を抑えられないのかよく分からないまま、抑えようとしても、「やりたい」と思ったことが頭から離れないのです。
無理に押さえつけようとすると、だんだんその「やりたい」が頭の中でぐるぐるグワングワンしてきて爆発しそうになります。
その逃げ出したい気持ちが脱走という行為になってあらわれたのかなと今思っています。
多動と衝動が抑えられないときのなんとも言えない爆発しそうなあの感覚。
喋りたい衝動を解消してくれたのは保健室の先生でした。
動きたい衝動を解消してくれたのは校庭の遊具や大鬼ごっこ&かくれんぼでした。
いろんな世界を知りたい欲求を解消してくれたのは図書室の本でした。
手を動かしたい欲求を解消してくれたのは自由帳や粘土でした。
発達障害を抱える子ども達にはサポートが必要
今でも自分の気持ちをうまく伝えられないことをもどかしく感じることがよくあります。
人生経験や語彙の少ない子ども時代ならなおさらです。
発達障害を抱える子どもたちにはサポートが必要です。
なぜ自分は他のこと違うのか。
みんなできるのになぜ自分だけできないのか。
自分ばっかりいつも叱られる。
自分はどうして欲しいと思っているのか。
なぜ自分の感情はいつも爆発しそうになるのか。
分からないことだらけ。
何がわからないのが、何に困っているのか、人に説明できないつらさ。
困った行動をする子たちはみんな何かに困っています。
困った行動はSOSサイン。
本人も気づいていないかもしれないけれど、だれか助けてと心は必死にメッセージを発信しています。
みんながもっと生きやすい世の中になりますように。
※おいおい読みやすいようにイラストや写真を追加する予定です